勉強についてでも勉強についてでなくても,競う相手は作りましょう.
同じ目標をもった友達だと良いですね.切磋琢磨して互いに良い刺激を与えることができます.
友達でなくても自分が勝手に決めても構いません.尊敬する人を目標にして,「あの人より絶対早く成功してやる」という風に勝手にライバルに決めてもいいでしょう.
できれば友人と尊敬する人の両方をライバルに決めると良いです.いくらこっちが勝手にライバルに決めようがタダですしね.「勝手に」というのは,「あなたをライバルに決めた!」とか相手になかなか言えないじゃないですか.笑
でも,私は友人のライバルには「これからお前をライバルにすることにした.お前に勝つつもりでやる.」とか言っちゃったりしますけどね.言ったらやらないといけないので.
ライバルを作ってどうするのか
「俺は別に一人でやるし」というのも別に構いません.心の中からそう思っているタイプの人もいると思います.
しかし,ただ恥ずかしくてクールぶっているだけなのなら,それはもったいないと思います.もっと熱くなったらいいんですよ.
実は,私もかつてはクールぶっているタイプでした.「何競ってんの?サラッと勝つのがええんやん」とか思ってましたが,つまり熱くなることを恥ずかしがっていただけなんですよね.
でも,私は負けず嫌いです.競って勝ちたいんですね.
かつて私がクールぶっていた時期に,競い合っている人たちを羨ましがっている自分に気付いたんですね.「あれ?俺はもっと熱くなりたいんじゃないの?」と自分の本音に気付いたんです.
もともと人間の生物としての歴史の中では,敗北は死に直結しかねないことでしたから,本当は負けず嫌いの人間は多いはずだと思うのです.
ライバルを作って熱く競えばいいんですよ.勝ちたいなら熱く競えばいいんですよ.
ライバルの存在
友人のライバルと,尊敬できる人のライバルがいるといいと書きました.
友人のライバル
「追い越されたら,必死に追い越し返す.すると,逆に追い越し返される.」という感じの関係なら最高ですね.
「人間の脳はよくサボろうとする」というのは知っている人も多いと思います.これは脳科学的にも正しく,人間の脳はできるだけ楽をするようにはたらきます.
あえて危険を冒すよりもその方が生物として生存できますから,これは本能の一つといえます.
ですから,なんとなく生きているだけでは,本能に流されてダラダラしてしまいます.もし,自分を高めたいなら,「意識的して」自分を磨く必要があります.
ライバルがいると生物的には敗北は死を意味しますから,負けないように努力したくなります.これが「楽をする」という本能より強くはたらけば,刺激になり行動を起こすようになります.
尊敬する人のライバル
これは競うというより,「目標」と言った方が良いかも知れません.「あの人はこれをあれくらいで成し遂げた」「あの人はこの時期にはこれをしていた」という一種の目安にすることが多いです.
目安にすると書きましたが,やはりライバルする以上「その人より早く成し遂げる」という意思はもっておくべきでしょう.
尊敬するあまり「あの人には敵わない」という思いが出てきてしまうことがありますが,「あの人にかなわない」と思ってしまうのはネガティブな思考ですから,それはよくありません.
その尊敬する人も人間なのですから,その人も過去に努力を重ねてきたはずです.ですから,あなたも努力を続ければ敵わないことはないはずです.
「いや,現実的に無理やし」はやめましょう.現実的に無理かどうかは関係ありません.こちらが勝手にライバルに決めるのですから,誰にも迷惑は掛かりません.
目標とするのは自由です.自分が目標にしてどんどん目指せばいいのです.そのように勝つつもりでいることが重要なのです.